誰にもわからず、伝わらぬ「死」というもの―それがぼくたちの生きている現代の社会のなかであったのだ。
人の生命が、これほど侮辱された時代が、ついこの間、この日本にあったのだ。
しかも、ぼくたちは、かつて、その祖国に、自分たちの生涯を捧げようと覚悟していたのだった。
安田武『戦争体験-一九七〇年への遺書』
しかし、人の内面史(inner biography)にとっては、悲嘆や悔悟はまことに意味をもっているのである。
われわれが愛していたが失ってしまった一人の人間を思って嘆き悲しむことは、
ある意味では彼を生き続けさせるのである。
石田忠『原爆体験の思想化―反原爆論集Ⅰ』
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長崎県防空本部跡(立山防空壕)
長崎県防空本部跡(立山防空壕)
東山手町
長崎代官 末次平蔵宅跡(勝山町)
長崎電気軌道・長崎駅前電停
聖福寺(玉園町)
水の浦町
三菱長崎造船所(飽の浦町)
サント・ドミンゴ教会跡(勝山町)
サント・ドミンゴ教会跡(勝山町)
城山小学校 被爆校舎(現・平和祈念館、城山町)
長崎港
七十数年前、日ごとに激しさを増す空襲下で、魚雷をつくっていたトンネルがあった
剝き出しの、手掘りの坑道の先には
ぽっかりと暗闇が広がり
その向こうから、今はただ、微かな風だけが吹いていた
遠くまで続く、その暗がりを前に
かつて、確かにここにいたアジアのひとびとと
閃光と、猛火から逃げ延びてきた
一人ひとりの生を思った
ある人が、大陸の夜の宿舎の中で
もう二度と踏めるか知れぬ、ふるさとの匂いに思い焦がれたそのとき
ある人は、一日の汗にまみれ
遠く、海を隔てた故国を、まなうらに浮かべていた
名付けられるよりも前、海は、私たちをつなぐものであったが
もし、あの日の、あの時の、あの場所での出会いが
最後と知っていたのなら
今は昔の死ではなく
あなたは、
いまと、未来のわたしであり
わたしは、
かつてのあなただったのかもしれない

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